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| 福元盆地は、かつて琉球王朝から島津藩時代は大和浜間切と焼肉間切(現在の宇検村湯湾)の中間として、 旅人や飛脚等の休息地又は宿場として20数戸の人家がありました。 盆地を流れぬける川は、現在の住用川の上流で、しかも本流であり集落から約1km 下流で支流と合流する 地点があり、ここにこの滝があります。 当時の川の流域は、うっそうと大木が生い茂り、昼でも暗かったという。 不思議にこの滝ツボはいつでも太 陽の光で美しく照り輝き、そこを通る旅人等の心に安らぎを与え、良き憩 いの場として親しまれて来たとい うことです。 そこで昔の人々はこの滝ツボに美しく写り輝く丸く明るい太陽の影を見て、「本当に美しい太 陽の滝ツボ」 と称讃し何時の間にか「マテリヤのコモリ」となり、今では「マテリヤの滝」といわれてい ます。 |